Nov 2, 2010

maschine

アナログのインターフェイスにまた最近になって惹かれている。

とにかく操る人間に対してのレスポンスとノイズの積極の恩恵は大きい・・・・

どうしてもここだけは譲れないのかもしれない。

デジタルストレスを少しでも減らすのもまた楽しい作業と感じるようになったのは

一体いつ頃からなのか・・・。






Sep 18, 2010

fine





絶対にいつの日か向こう側へ行く日が訪れると思う。

待ち遠しくもある

これより美しいものを知りたい

飛沫など

Sep 11, 2010

emeralder

季節の変わり目がやはり素晴らしい


何度助けられたことか


四季を味わえることがこれほど誇りに思える日もまたとはない。


何もかもが高まるばかり

Aug 5, 2010

ideal

多種多様な価値観から特にこれといったものを提案する気は毛頭ないのだが若いときから自己が持つ価値観を信じて止まない人は将来きっと見失うだろう。しかしながら成熟したこととして見なしてしまったものもまたしかりだろう。血から譲り受けられた価値観にも善し悪しはある。どうか葛藤と探求を止めないでほしい。最中が一番研ぎ澄まされている最中なのだから。お互いにその中で会話と食事と酒を交わしたい。決定し続ける人の発言は時期によってどうしても劣化が生じてくることがある。そのことを見抜いていなければあなたが手に入れたものは微風でさえその手からいつか落ちるだろう。決意したのならばその決定に対しての都度の補正を怠らないで欲しい。そしてその頑丈な価値基準をみせてほしい。そして私のちっぽけながらも創り上げてきた価値と見比べてみたい。そうすればお互いに補えるのだから。

Aug 3, 2010

fire












先日は旧友達に会いに行ってきました。
リアルに会うことの大切さがしみます。

Jul 10, 2010

BALL

錯乱のみだけで表現する芸術をときおり見かけるんですけども結論にでもどこかしらでもよいので良くも悪くも回答を含めることができる教養、もしくは強さ、決意がない芸術はそのもの自体が首を絞めているようにおおよそ滅びるのではないでしょうか。時代の大衆には受け入れられるかもしれないがもし本人が潜在的に先導を志しているのならばまずは何かしらの芸術的テーゼがないと意味をも失うのは自分と生み出された作品であるのではないでしょうか。又、等身を表現したいのならば特に考えることもなくのびのび奏でれば良いのだが私が述べたいのは潜在的に先導を志しているにもかかわらず錯乱のみの本人と芸術達の自らの誇大と煽る大衆の量である。歴史が都度に価値ある芸術を決定してきた、いわば自然にまかせても風化せず生き残った芸術をまずは君臨させ、さらにそこから相対的に判断するという謙虚さもいつからか宙に舞ったままただ人それぞれの感覚にゆだねるだけの芸術的価値観のみが存在しているのではないかという位の錯覚すら覚えてしまうのです。良質とはなにか?自己のなかから選び抜かれたであろうその芸術、そしてそれは本当に自分が選び抜いたものなのか?本能と感覚だけにゆだねるのは無意識ですら誰しもができること。次のステージと仮定し、もう一度見直すことで更なる感覚を研ぎ澄ますという行為を侮ってはいないのだろうか?姿勢がまだ見えぬものを与えてくれるということに冷めてしまったのだろうか?・・・したがってそのものを否定するのではなく量としてマイノリティでなければ価値基準そのものが不明瞭になり、相互同士がとてもつまらないものと化してしまうのではないでしょうか?錯乱しかできない自分に対する無知への謙虚さを踏まえる、もしくわ未熟から脱したい姿勢があるのならば私は希望、歩み寄り、そして愛情を注がせてもらわなければならない立場と化し、そしてその相互からのテレパシーは必ずお互いが栄える愛情を持ち合わせながら気づてしまいます。言い添えるならば錯乱を難解に見せるのはたやすいことです。無論それは難解ではないからです。本当の難解は誠意と長い時間を費やさなければ到底太刀打ちできるものではないと思います。シンプルでも良いのです、まずはそこからスタートしているということが絶対的に美しいのですから。無音からの一音、もしくわ楽音が放たれた瞬間こそ芸術であるという純粋的思想を否定しているのではなくその思想を絶対とするにはどうしてもピークを通過しすぎてるとしか私は思えないのです。すべてものが同一された途端それぞれの価値は失われてしまうのですから。そして日々がんばらなければならないのは一番の隣人、自分です。そして芸術は私にとって必要なエッセンスを見せてくれるなかなかのものです。程ばかりではございますが実は芸術を語ろうとはしておりません。漠然とでしか私には語れませんがニヒリズムを通過してしまった人間へのささやかな道しるべと自らを震い立たせる行為として日々確かめているのです。

Jul 8, 2010

main

とある人が奇跡は起きると言う。その言葉に対してのリアクションは生きてることが既に奇跡なので感動はそこに既に存在するということ。現実として生きている以上、そばにある喜びや悲しみは個々の人生をきたしてみせたり又は潤いを与えることもありうるがその際の感情、感動は常に前に述べた奇跡に敬意を示していればそう動じることはない。さらに内側に描かれているものが美しければもう既にそれでいい。たとえ外側が死のうが生きてようが全く関係ない。人間らしく生きるよりも迷わず 自分が選んできたものは啓示の受け皿としての自分である。そしてそれをこなせないのもまたやっぱり自分である。狭間こそが生、やっぱりこの世は美しい。

Jun 25, 2010

SEA







雨でも問題ない位夏が好きです。なんでしょう、自分が生まれた場所が比較的南ということと海がある場所だったので、それなりにその場所で過ごしてきたからだと思うのですがそしてその場所が一番似合う季節が夏だったからと勝手に思ってます。以来夏が好きです。シンボルとして海が好きです。そう言いながら何一つ海と関わる事やマリンスポーツなどもやらないのですが私にとっての海は確実に切り離せない存在です。とにかく海のある場所で過ごす一時がとても大事で孤独と共に海の見える場所で過ごすのです。特別なものは一切なく、ただただ海があれば良いのです。安心というものはそのようななにげない時間です。時の芸術、音楽も勝手にまろやかな旋律を奏でることしかできません。そんな強制的に幸せを感じれる場所、そんな天国の様な空気を持つ場所は私にとっては海にほかならないですがとうてい目に見えるものではありませんがあちらから運ばれてくるものが必ず良い何かということです。不変のはずです。きっと・・・・・・・

May 8, 2010

STARS














Givenchy 2010SS の見事な星がモチーフ・・・
完璧な夏がとてつもなく待ち遠しい・・・・
エレガンスは僕にとっての最高の嗜み・・・・
日々がしなやかにうねる・・・・

May 5, 2010

Perfect G.W.
















GIVENCHYの盛り上がりといいWangのメンズラインがスタートしたりとファッションの世界も最近はとても単純に楽しいですね。僕は音楽を主として概ね芸術関連をとらえようとしますがどの世界(ジャンル)でもレヴェルの高さ、緻密、精巧さ、総じて浅はかではないものには惹かれます。ところで僕がここ2,3年携わっている環境にはなかなかそういった浅はかでないものを敬う思考をもった人と出会うことがなくすこし寂しいですが究極及び純粋性の一部分を担うであろう”単純”というものはそれを追求する上でとてもなじみ易く、入口としてすごく入りやすい 部分だと思いますがそこで留まる思考、思想は本当にすばらしいものでしょうか?逆に追求しようとしても考え方をまず整えてからの旅になることを知らないが故に同じ場所を廻り疲れるのも大変な労力でしょう。以上の2つは出口を与えてはくれないでしょうし、そもそも興味がなければなおさらなのでしょう。インターネットの世界はもっぱらグローバリズムに乗っ取られてそれはそれでとてもストレスな世界を構築していますが その反動なのでは?と茶化してみますがここ100年ほどの思想世界はインディヴィジュアリズムやニヒリズムの海で埋め尽くされていると思います。となえごととしてこのインターネットの世界と思想の世界の価値観が入れ替わった位が丁度いいと思います。人間の本能には不変性でそれらのつながりはいつでも求められますが思考、思想、価値観にある程度のグローバル性が無いと人間としての醍醐味、精神的な一致が難しいでしょうよと。何が真実かを語る前の願いとしてそう思います。そしてその真実となれる資格を持つものへの出会いと追求としてちっぽけながらこれからも息していきたいです。今年のGWは本当によい天気といい旅だった。


Apr 23, 2010

ラーレンローレン elegance













マルコム・マクラーレンを振り返りながらオレもワインのもう。

Mar 8, 2010

練りに練られたものがすき












申し分なく美しい。
 












ラティース ラティッセ
iphone アプリ 開発